標高1,000m以上、浅間山の北麓に位置する長野原町の北軽井沢地区。「北軽」の愛称で高原リゾートとして知られるこの地区に、東京から移住して14年。地域の魅力を発掘・発信し続けている藤野さんに、大自然に抱かれた暮らしの楽しみ方をうかがった。

東京都→長野原町(2004年移住) 藤野麻子さん

profile

東京都生まれ。14年前、都内での仕事を辞め、夫ともに両親が建てた北軽井沢の山小屋に移住。ライター・編集者として働く傍ら、早朝は農家の手伝い、週末はブックカフェを営む。無料情報誌「きたかる」の編集長としても活躍中。

午前8時。愛犬モモとお散歩。雄大な浅間の姿に元気をもらう。

ここから眺める浅間山は観音様が寝ているように見えるでしょう。冬、真っ白に雪におおわれると本当に観音様のようで。朝夕の犬の散歩のとき、浅間がきれいに見えた日は、心がすうっーとして小さいことはどうでもいいやと。
この辺りの人は山で季節を感じるんです。浅間の雪が融けて鳥の雪形が出ると農作業を始めていいとか、山に3回雪が降ったらいよいよ里も降るとか。雲の垂れ下がり方や噴煙の出方で、雨が降るとか風が強くなるとか天気もわかるようになりました。

朝夕、愛犬モモとお散歩するのが日課。浅間山の姿に、四季の移ろいや天気の変化を感じる。

まさに浅間山とともにある暮らしですね。

浅間山がなかったら、ここに移住していないかもしれません。そもそも父がここに山小屋を建てたのも、目の前にそびえる浅間山の姿にひかれたからなんです。
もちろん活火山だから恐い思いもしましたよ。移住して間もないころに噴火したときは、溶岩が流れてくるんじゃないかとビクビク。その秋は、山の頂上が雲に赤く映る火映という現象がずっと続いて、すごく神秘的でした。

東京からこちらに移住されたきっかけは?

両親が伊豆に住居を建ててここを手放すと言い出し、だったら私が住みたい!と。小さい頃からよく遊びに来ていたので愛着があって。主人も東北育ちで、もともと都会より山が好きな人だったんです。仕事も決めずに、行けば何とかなるだろうと(笑)。
都内では文具メーカーの広報をしていました。ライターは未経験でしたが書くことは好きで軽井沢の出版社に仕事が決まり、主人は近くのキャンプ場で働くことになりました。

森の中にひっそりと佇む自宅兼週末だけのカフェは、両親から譲り受けた山小屋。

夏でも冬を意識して暮らす北軽井沢。都会とは全く違う冬の暮らしがどんどん好きになってきた。

ここでカフェを始めようと思ったのは?

都内にいたころから二人ともカフェをやりたかったんです。でも、それだけで食べていけるとは思っていなかったので、仕事をしながら週末だけやってみようと、移住2年後に始めました。もともと父が画廊として使っていたので改築もほとんどせずに。
移住してからの日々をつづっていたブログにお店を載せたら、遠方からもお客様が来てくれるようになりました。わざわざ行く隠れ家的なカフェということで、雑誌にも取り上げられて、宣伝はしなかったんですが、けっこう広まりましたね。

(左)冬の朝は薪ストーブに火を入れることから始まる。(右上)壁一面に備え付けた本棚。(右下)画廊として使っていた頃の面影も残る。

夏はリゾート地という印象ですが、冬は厳しくないですか?

ここは1年の半分が冬。真冬にはマイナス20℃にもなりますよ。3月くらいまでずうっと氷点下の暮らし。室内でもビール瓶が割れたり、シャンプーや油も凍ってしまう。まずは油を湯せんにかけてから料理。冬のために薪の準備や食料の貯蔵など、夏でも冬を意識して暮らしています。人間も動物だなと思うんです。冬の間は自然と眠くなる。体温を維持するためにエネルギーを使わないようにするんですね。
季節の変わり目のダイナミックさが、都会とはいちばん違うところ。最近、どんどん冬が好きになってきました。しーんとして空気もきれいだし、星もすごくきれい。家の中でゆっくり本を読んだり、編み物をしたり…。お風呂は薪風呂なんですが、冬は夕方4時ごろからお風呂を焚き始めて、入れるようになるのは8時ごろ。夕焼けの中、薪を運んで火をつけて、雪に囲まれた静けさの中パチパチと火がはねる音だけ。炎に見入ってぼぉーとしていられる時間が最高です。

藤野さんの一日は?

春から秋には朝4時台に起きて、レタスやキャベツなどの収穫のお手伝いをしています。早朝、畑に行くと朝焼けの中にドーンと浅間山があって、気持ちいいなぁって。畑仕事をしながら良いフレーズを思いつくこともありますし、頭がすっきり目覚めるので、午前中のライターの仕事がはかどります。お昼食べたら少しお昼寝して、それから午後の仕事をしたり、週末の前にはカフェの仕込をしたり…。夜は9時台に就寝。東京にいたころは深夜まで飲み歩いていましたけれど(笑)。
都会暮らしと比べるとないものも多いけれど、なければ作ればいいんです。夫もそういうのを楽しむ人で、カフェの入り口のサンルームも彼の手作りなんですよ。

入り口のサンルームはご主人の手造り。天窓から柔らかな光が入る心地よい空間だ。

家の周りには季節の野菜を育てる家庭菜園。採れたての野菜がカフェのメニューに登場することも。

地元の人とは、すぐになじめましたか?

北軽はもともと開拓地で、移住してきた人たちが多い場所。代々続く旧家のあるような場所ではないので土地のしがらみがなく、移住者をよそ者扱いするような雰囲気はありません。知り合いになると、ほど良い距離で接してくれて、そっと気にしてくれる感じですね。
複数の仕事をかけ持っているおかげで、知り合いも広がりました。畑では地元の知り合いが増えたし、お店では遠方からの人も来るし。一つの世界に固まらないで幅広く関われるのが本当によかった。

そういうつながりから情報誌「きたかる」を?

3、4年前、地元の歴史を学ぶグループに入ったのがきっかけです。応桑の狩宿本陣の調査に加わって、この地域の歴史にびっくり。地元に面白いものがいっぱい眠っている、これを書きたい!と。メンバーを集め、休刊になっていた「きたかる」を復刊する形で2016年から始めました。
そのうち、役場からも広報で町の歴史を書いてくれないかと。毎月、道祖神とか神社とか山城とかを一人で取材して書いています。それを読んだ郷土愛好家の方々がいろいろ教えてくれるようになって。自分で動くと広がっていくものですね。
うれしかったのが、東京で暮らしていた地元の子が、「きたかる」を読んでふるさとに戻ってきたこと。今は地域おこし協力隊で、編集メンバーにも加わってくれていますよ。
この地域のすばらしさをもっともっと掘り起こして、発信していきたいと思っています。

日本タウン誌フリーペーパー大賞2017で「タブロイド部門 優秀賞」を受賞した『きたかる』。

フリーペーパーの編集がきっかけとなり、新しく製作することになった町のPR動画の編集会議。

「降雪や寒さ」について

降雪量はせいぜい20~30cmくらい。解けずに凍ってしまうため、冬の道では運転に気をつける必要がある。冬が半年を占めるので、そうした厳しい環境を自分なりに楽しめる人に向いている地域だという。

「仕事」について

いくつかの仕事を掛け持つマルチな働き方は、リフレッシュできたり、新しい発見があり、自分に合っているという藤野さん。北軽近辺では、夏は農園、冬はスキー場など、季節で働き方を変える人も多い。

 

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