高齢化率日本一、限界集落ともいわれる南牧村に、農家になりたいと移住してきた青年がいる。夢は世界中から飢餓を無くすこと。そのために、耕作放棄地を借り受け、農薬も肥料も使わない自然栽培に挑戦。村人の温かい援助を受けながら、夢を追う若者を訪ねた。

東京都→南牧村(2014年移住) ※ 一身上の都合により現在は県外に居住 田中陽可さん

profile

東京都生まれ。高校時代、緒方貞子さんにあこがれ、世界平和に貢献したいとアメリカの大学へ。在学中、世界の飢餓問題に関心を持ったことをきっかけに農家を志す。地域おこし協力隊を経て、自然栽培の農家として独立。

午前4時半、カーテンを開けたら、隣のおばあちゃんが「畑かぁ~い?」って。

初めは「農業じゃ食べていけない。英語ができるんだから都会へ帰れ」と言われたけど、本気で定住するってわかったら、みなさんが子や孫のように見守ってくれているのを感じます。家の鍵はかけたことがなくて、玄関を開けたら、野菜が置いてあったり宅配が届いていたり。人によってはプライバシーがないとか、勝手に入られたと思うかもしれないけれど、僕はとてもありがたいです。

空き家バンクで見つけた自宅は6畳3間にキッチン。バーベキューも楽しめる広いバルコニーの下には倉庫も。

そもそも、アメリカの大学を出て、なぜ農家に?

高校時代に国連難民高等弁務官の緒方貞子さんの本を読んで感動し、緒方さんのようになりたいとアメリカの大学へ行ったんです。大学在学中、腸の手術を受けて10日間絶食。空腹の苦しさを味わったのが、農業を目指したきっかけです。
世界には約10億人も飢餓で苦しんでいる人がいる。勉強するうち先進国の土地収奪という問題を知って、それを解決するには農業だと。日本で食べる分は国内で生産すればいいじゃないかと。
最初はNPOでの起業を考えました。卒業後、ピースボートで世界一周した後、都内で通訳・翻訳の仕事をしながらビジネスコンテストにも応募しました。でも、本からの知識だけでは説得力がないことに気づき、やっぱり実践しなくてはと。

農家になるために地域おこし協力隊に?

土に触れたことも鍬を持ったこともないのに、いきなり農家として移住する勇気はなくて、地域おこし協力隊の制度を利用しようと。家族には「なんで農業?国連で働くんじゃなかったのか?」とあきれられましたが、今は応援してくれています。

農作業が楽しくてしかたないという田中さん。自分の畑を「イニアビ農園」と名付けた。「イニアビ」は「すべての生命体が依存している太陽」というアメリカ先住民の言葉。

南牧村の第一印象は?

協力隊赴任の前夜、南牧バスの最終で村に到着しました。「真っ暗!」というのが第一印象です。家の鍵と住所は持っていたけど、とても行き着けそうにない。たまたまバスの運転手さんがその日が定年退職の日で、一緒に乗っていた新人さんに「家まで送ってやれ」と。そのときの運転手さんには、今もお世話になっています。運命的な出会いでしたね。到着初日から村の人の温かさを感じました。

3年任期の協力隊を2年で繰り上げて就農されたんですね。

最初から農家になりたかったので、半年たった頃、数カ所の農家を紹介してもらい、お手伝いしながら農業を教えてもらいました。やってみて農業はやっぱり楽しいなと。お年寄りなので少しやってはすぐ休憩。僕はずっとやり続けたくて、もう休憩ですか!(笑)。南牧ぶるう(インゲン豆)とか、南牧瓜とか、この村の在来野菜も教えてもらいました。
2年目になって「畑探しています」と言ったら、みなさんが親身になって条件のいい畑を探してくださった。耕運機も貸してもらって。3年目からは農家として一本立ち。今は畑を4カ所借りています。

耕作放棄地での自然栽培にこだわるわけは?

肥料や農薬を使わなくても野菜が育つことを証明したいと思って。自然栽培が広がることが、世界から飢餓を無くすという夢につながると、僕は信じているんです。耕作放棄地は土から農薬が抜けきっていて、土の中の微生物で栽培できるから最適なんですよ。アメリカにいる時から本でずっと勉強していて、構想は完ぺきでした。でも、気温とか土質とか、地区にあった作物とか、村内でも標高差があって違うから、本での知識だけでは不十分。地元の人に教えてもらいながら、土地に適した野菜を試行錯誤しながら栽培しています。

季節に応じた収穫物を箱詰めして宅配。パッケージデザインも自分で。

販路はどうやって広げたのですか?

自分のホームページやいくつかのサイトを使い、インターネットで受注して個人宅配というのが主です。最初はピースボート仲間などの知り合いでしたが、定期的に購入してくれるお客さんもついてきて、フェイスブックなどでも広がっています。東京の八百屋さんにも卸すようになりました。

販売にはインターネットを駆使。WWOOFというサイトに登録し、海外から農業体験にくる若者を受け入れることも。

(左)道の駅でも販売。村内での販売は1割程度。(右上)9割は「イニアビ農園」サイトからネット販売。(右下)平飼いで育てた鶏の卵。

農業での自立は可能ですか?

今は、農業収入だけだとプラスマイナスゼロくらい。英語が得意ということで、村から依頼されて小中学生の英語教室を行っているほか、家庭教師もして、副収入を貯金に回しています。食費はほぼ自給自足だし、家賃も安いので、都会では考えられないくらいの生活費でも、けっこう豊かに暮らせますね。
「農業では食べていけない」と心配してくれていた村の人も、最近は「今の時代、案外農家でもいけるのかな。ネットの力ってすごいな」と考え方が変わってきたのがうれしい。「農家ってかっこいいですよね。一生食っていけますよね」と言い続けたいですね。
これからも、この村で夢への挑戦を続けていきます。

得意な英語を生かして、夜は小中学生の英語教室や村の人の家庭教師の仕事も。

「生活費」について

農業収入の他に副収入もある田中さんは、収入を増やす努力も必要だが、支出を減らす工夫を生活の中に取り入れることで、地方でも豊かに暮らせるという。仕事が軌道に乗るまでは、パート・アルバイトなどで副収入を得る移住者が多い。

「ネット環境」について

山間の地域でもインターネットの環境があれば、市街地と変わりなく生活できる。買い物もネット通販を利用すれば、たいてい翌日には届く。田中さんのように商品をネット販売して全国各地から注文を受けることも可能。

 

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