「ふわふわパンケーキ」というイラスト入りの看板と、緑を中心としたエクステリアが印象的なお店「CAFE 紅うさぎ」は、中原夫妻が第3の人生としてスタートさせた自慢のカフェだ。仲睦まじく暮らすお二人に、人生を楽しむコツを伺った。

神奈川県→高崎市(2015年移住) 中原陽さん・富美子さん

profile

男の子3人を育て上げ、移住後は夫婦水入らずの生活を過ごしている中原夫妻。「ずっと一緒にいるので顔が似てきちゃっているのかも」と笑う。休日も店の買い出しなどでずっと一緒にいるそうだ。

午前10時。新幹線に乗って1時間後には東京。都心に近い、理想の地方暮らし。

富美子さん|例えば横浜にいたとしても東京まで行くのに1時間かかるので、同じ時間ですよね。だから高崎へ引っ越してきてからも違和感なく、お友達に会いに行けたり、美容院に通えたりしています。

もともとどんな仕事をされていたんですか?

陽さん|最初はサラリーマンです。外資系の営業職でした。だけど若い頃から「50歳になる前に会社を辞めたい」と思っていたんですよね。老害って言われるのが嫌だったから。がむしゃらに働いてきて、45歳のときから3年間シンガポールでの海外勤務を経験して、それもいいきっかけになったので、50歳になる直前に会社を辞めました。辞めた後は、妻と小商いでもして第2の人生をスタートさせたいと思っていました。

軽快に話す陽さんと、隣でにこやかに佇みながら時折そっと言葉をはさむ富美子さん。

富美子さんは、陽さんの早期退職に賛成されていたんですか?

富美子さん|会社を辞めるのは別に構わないと思っていましたね。人生はお互いに一度だけだから。私と一緒にお店をしたいってことは後になってから聞いたけれど、あまり考えずに「私でお手伝いできることがあれば」って思いましたね。

退職して、まずはどんな商売を?

陽さん|まずは、横浜でアジア雑貨店を始めました。海外勤務の経験から、アジアのどこに行けばいい品物があるか知っていましたから、2人であちこち買い付けに行って、気に入ったものを仕入れてきて売ったんです。1点物が多かったから、そこそこご贔屓いただきましたね。それを11年続けたんですが、次第に物販ではない商売をしたいと思い始めて。我々は食べることが好きだったから、次は飲食店かなって軽い気持ちでした。あと、当時の店舗は賃貸だったから、次の商売は住宅兼店舗でやろうという思いもあって、物件を探し始めました。

高崎との縁はどこから?

陽さん|たまたま、友達が高崎に住んでいたので夏の花火を見に来てたんですよ。3回ぐらい来たかな。それで「いい町だな」と思って、横浜で物件を探すのと並行して高崎の物件も探してみたんです。そうしたら結構数があって、この場所が出てきたんですよ。駅から近くはないけど、遠くもない。横浜ではコスト面で絶対無理な駐車場も作れる。それで「ここがいいな」と妻にお伺いを立てたんです。

お店の外にはアジア雑貨店時代に買い付けたお気に入りの壺が飾られている。

富美子さん|正直言って、地方は住んだことなかったのでどうかしらと思ったんですけど、夫婦ですからついて行くのが当たり前だとは思いましたね。何年も一緒にやってきたので、2人でいれば不安はなかったです。

新しい土地、新しい事業に不安はなかったですか?

陽さん|不安な気持ちもありましたけど、何事にもぶつかる悩みではあるし、転ぶか転ばないかはやってみないと分からないよねって。会社員時代に散々新規ビジネスは考えてきたわけだし、勘と度胸、あとはやる気でいくしかないでしょう、と。それでも、最後に背中を叩いてくれたのは妻でしたね。会社を辞める時も「パパ、大丈夫よ」って言ってくれた。そういういいパートナーです。

富美子さん|子ども達も皆独立していたので、反対はされませんでしたね。

2015年9月にグランドオープンした「CAFE 紅うさぎ」。実は、開店前夜までパンケーキのレシピを試行錯誤していた。納得の出来になったのは早朝3時だったとか。

地域の方との交流はありますか?

陽さん|引っ越してきて1週間ぐらいだったかな。区長さん達が挨拶に来てくれて、「いや~よく来てくれたね~」って言ってくれたんですよ。とても歓迎されている感じがしてびっくりしました。もともとこの辺りは中山道の宿場町だったから、来る者拒まず、新しい文化を取り入れていくみたいな感じがあるんですかね。地方はどうしても閉鎖的な部分があると聞いていましたけど、全くなくて、いい町とタイミングがあったなって思いました。

富美子さん|お店をオープンしてからは町内の集まりをこちらで開いてくれたり、お世話もいい具合にやいてくれるというか、すごくいい距離で接してくださる。お客様もどんどん話しかけてくださって、私たちが困る前にいろんなことを教えてくださるの。だから移住して困ったことはないんですよ。

開業にあたっては、市の補助金を利用されたんですか?

陽さん|はい。ありがたかったです。もともとこの土地には建物が建っていたので、解体するときの補助金と、厨房設備への補助金を両方いただきました。お金の支援制度が充実しているのはいいですよね。お店をやってみようと思っている方にはありがたいんじゃないかな。

入口上に飾られたえびす講の人形は、「商売をやるならあった方がいい」と隣の区長さんが持ってきてくれたもの。

現在提供されているメニューはどのように生まれたんですか?

富美子さん|カフェはカフェでも、ランチをやりたかったんです。昔、横浜の元町に素敵なサンドイッチ屋さんがあったんですよ。そこで食べたサンドイッチが忘れられなくて、「サンドイッチもいいんじゃない?」って発想から作り上げていきました。

陽さん|僕はパンケーキに挑戦したくて、理想のパンケーキを絵に描いてそれを再現するレシピを考えました。お店の看板に描いてあるイラストがそれです。

サンドイッチは富美子さんの担当。注文を受けてからカツを揚げ、全粒粉の茶パンとオリジナルソースで挟む。

パンケーキは陽さんの担当。榛東村の卵を使用し、ふんわりとした柔らかさと美しい黄色を出している。

オープンから3年経ちましたね。

陽さん|3年経った今、カツサンドとパンケーキという、うちの看板メニューを食べたいとお店に来てくれるお客様ができていて、よかったなと思っています。何となくですが、うちのキャラクターが料理に出てきたのかなって。それはこれからも大事にしてやっていきたいですね。

今後の目標を教えてください。

陽さん|この歳になっても2人でこうしてお店をやれているのが嬉しいですよね。それを通して生きがいにもなっている。だからずっと元気で仕事を続けたいです。それから、うちがここにできたことで少しでも市の活性化に貢献できれば嬉しいな。そういう風にしなきゃいけないなとも思っています。

富美子さん|お料理は、本当に様々なところにこだわって作っているので、ぜひお店に足を運んでくださいね。

自然体のお二人。お客さんも積極的に話しかけてくれる人ばかりで、どんどん話題が広がるという。

商売について

高崎市の人口は約37万人で、中原さんが以前住んでいた横浜市青葉区よりも多い。群馬の人達は新しいもの好きなので、新規商売に挑戦するのに群馬はお勧めだという。土地の坪単価は都心に比べれば1/5ほどの場所もあるので、開業資金も抑えられる利点がある。

補助金について

中原さんが活用したのは、高崎市の「空き家解体助成金」と「まちなか商店リニューアル事業補助金」。高崎市だけでなく、群馬県内の市町村では様々な補助金制度があるので、起業や開業を考えている方はぜひ気になる市町村を調べてみてはいかがだろうか。

 

移住者インタビュー一覧に戻る