都会から県北部の川場村に移住して、「森と人とのつながり」をテーマに、四季折々の自然を楽しむ野遊び・森遊び体験を提供する辻田さん夫妻。決まったスケジュールに縛られず、山や森の楽しみ方を見つけながら暮らすライフスタイルの魅力をうかがった。

神奈川県→川場村(2010年移住) 辻田洋介さん・直子さん

profile

横浜で中学校教員だった洋介さんと看護師として働いていた直子さん。現在は「NPO法人あるきんぐクラブ・ネイチャーセンター」の二代目代表として、野遊び・森遊び体験を提供。尾瀬ガイドとしても活躍中。

午前6時。晴れた日の朝は、自宅前から雄大な山並みを見晴らす。

洋介さん|「あるきんぐクラブ」は“ノンプログラムでやりたいことをやる”がモットー。年間のイベントスケジュールは立てますが、それ以外は、自分の都合と来る人の都合でその日のスケジュールが決まる生活です。予定のない日は寝坊するし、夏のキャンプの時などは2週間ぶっ続けで24時間働いていますよ。

イワナが泳ぐ沢や緑豊かな森は自然を全身で感じる遊び場。洋介さんと直子さんの結婚式もこの森の広場のステージで。

川場村に移住するまでの経緯は?

洋介さん|生まれは北海道ですが、父親が転勤族だったので、名古屋、岩手、東京と、いろんなところで暮らしてきました。大学時代にJYVA(日本青年奉仕協会・現在は解散)で1年間ボランティアをするに当たり、数多くの団体の中から「あるきんぐクラブ」を選んだのが、川場村との出会いですね。
2003年に1年間ここに住み込んでボランティアスタッフとして働いた後、村の知り合いに勧められて、今度はカンボジアで学校支援活動をやりました。その活動を通して「学校教育には未来がある!」と感じて、帰国後に教員試験を受け、横浜の中学校で3年間教員に。でも、ぼくには教室が似合わなかったんですね(笑)。心も体も疲れてしまって、結局辞めちゃって。
その後、川崎の児童相談所で働いているうち、初代あるきんぐクラブ代表の竹内成光さんに再び巡り会い、「そろそろ引退したいから、継いでくれる人を探している」と声を掛けられたんです。そういう流れで、2010年にこちらに移住しました。

直子さん|私は横浜生まれ横浜育ちです。彼と同じく1999年に、JYVAでここに1年間住み込んでボランティアをした経験がありました。その後、青年海外協力隊でニカラグアに赴任したことも。結婚前には横浜で看護師として働いていました。

初代代表の竹内さんのライフスタイルにひかれ、「森が好き」という共通項で結ばれた辻田さん夫妻。

そんなお二人のなれそめは?

洋介さん|妻も妻のお母さんも、ここが好きでちょくちょくイベントに来ていたんです。2012年の秋、インド料理を食べようというイベントを開いたときに、料理好きな二人が参加して、そこで意気投合したというわけです。

「あるきんぐクラブ」ってどんな団体?

洋介さん|初代代表の竹内さんが37年前に始めた活動です。竹内さんはもともと東京世田谷で、プレイパーク(子どもの冒険遊び場)を拠点にしながら活動する「駒沢おひさま会」という“自主保育”の保育者でした。ただ、保育の期間が終わって小学校に通い始めると関わりが少なくなってしまうのがイヤで、ずっと付き合えるように自分で作ったのが「あるきんぐクラブ」です。小学生になっても中学生になっても高校生になっても、一緒に遊ぼうぜと。その後、息子さんたちが小学2年生の時に子育てを田舎でやりたいと、丸太小屋を自分で作って移住し、家族を呼び寄せて始めたとのことです。

竹内さんが古電柱を集めて手造りで建てた丸太小屋。今は辻田さん夫妻の居住空間でもある。

お仕事の内容は?

洋介さん|僕らは、竹内さんが37年かけて築いたものをベースにしながら、僕らなりにできるイベントを考えて提案しています。川場村周辺の環境を生かした野遊び・森遊び。やれることは何でもやろうというスタンスですね。大人向けも、子供向けも年間を通してあって、大人向けでは、天然のマイタケ採りや干し柿づくりなども人気です。2018年に全線開通したぐんま県境稜線トレイルにも挑戦しました。
一番大きいイベントは夏のキャンプ。小学1年生以上を対象にした武尊山中での2週間の定点キャンプです。事前にある程度準備はしますが、基本は子どもたちがやりたいことをやる。参加者は首都圏が中心ですが、遠くは広島から来た子も。最近は地元の子も増えてきましたね。
クラブのイベントの他に、県の事業の尾瀬学校のガイドも務めていますよ。

直子さん|宿泊施設の「山の家」は、イベント宿泊での利用の他に、会員向けの民宿的利用も受け付けていて、宿泊者への食事などは私が主に担当しています。

ドラム缶風呂は夏のキャンプのときには武尊山中まで運ぶ。春には羊の毛刈り体験も。

「山の家」の入口にある手作り作品の展示コーナー。素材は森の中で調達した木の実や枯れ枝、刈った羊の毛など。

「山の家」の2階は合宿などにも最適。最大20名くらいまで利用可能。

もともと自然が好きだった?

洋介さん|僕は子ども時代にキャンプなんてしたことなかったんですよ!東京のコンクリートジャングルに住んでいたので、その反動かな。大学時代に、谷川岳のクリーンキャンプに参加したり、寝袋を持ってバイクで全国旅したり……。そのあたりから目覚めた感じですね。

川場村での暮らしはいかがですか?

洋介さん|僕は竹内さんのライフスタイルにひかれて住みついたので、群馬とか川場村とか場所で選んだわけじゃなくて、人がつないだ移住なんですね。住んでみたらいいところだったという感じです。
竹内夫妻が移住してきた30数年前は、移住者の前例が無かったから大変だったようですが、僕らは特に苦労はありませんでした。集落の人にも紹介してもらってすぐになじめたし、つながりたい人とはインターネットですぐにつながれるので、移住する人にとって今は恵まれた時代だと思います。何より頼れる人がいたことが、一番ありがたかった。

直子さん|私も、暮らしの中で特に困ったことはありません。村の周辺には大型スーパーもホームセンターもあるし、洋服などはネット通販も利用しています。インターチェンジが近いので、横浜の実家に行くにも関越道から圏央道経由でスムーズですよ。
ここは村内でも高台なので、晴れた日は山並みの見晴らしがとてもいいところも気に入っています。

移住したいという人に向けて。

洋介さん|「あるきんぐクラブ」には「若者部屋」という名で、格安で長期に貸し出す家があります。そこでしばらく暮らして、尾瀬ガイドを務めながら村に移住を決めた子もいるんですよ。
僕らは竹内夫妻につなげてもらって移住したので、今度は僕らがつなげる人でありたいと思っています。

初代代表の竹内さん夫妻は移住者としても先輩。今は「茶飲みぃの家」と名付けた家を建て隠居暮らしを楽しんでいる。

「キーパーソン」について

辻田さんの場合は、移住者として大先輩の竹内さん夫妻がいたので何の不安もなかったというが、縁もゆかりもない地域への移住は、実際に足を運んで情報収集に努め、頼れる人を見つけることが必要だ。

「地元住民とのつきあい」について

地域の運動会とか、地元の祭りなどに極力参加しているという辻田さん。野菜などをいただいたら、お礼に森で採れたマイタケを差し上げたり。移住先で受け入れてもらうには、自分から地域にとけこむ姿勢も大事だという。