国道122号線から赤城山に向かって山道をのぼっていくと、緑に囲まれた中に佐藤さんご夫婦の住まいが現れる。斜面に建つ3階建ての家と、裏手に広がる広大な畑。終の棲家として桐生市黒保根地区を選択したお二人に、日々楽しく過ごすコツを伺った。
新潟県生まれの孝さんと長野県生まれの功子さん。孝さんは、埼玉県で40年近く、建設会社を経営していた。喧嘩はほとんどしないという仲良しの二人。夫婦円満の秘訣は「互いに褒め合うこと」と口を揃える。
桐生への移住のきっかけは?
孝さん|昭和47年、たまたま黒保根出身の人が埼玉に来て「土地を買わないか」と言ってきたんです。なんたってバブル時代ですから、お金はまわってましたし、仕事の仲間10人で10区画を1つずつ買いました。別荘にする予定でね。
「夢と希望にあふれていた」と少年時代を振り返る孝さん。学ぶことがとても楽しかったとのこと。
功子さん|私は田舎の生まれなんで、山と土があれば幸せ。埼玉に住んでいた時から、いずれは畑をしたいなって思ってました。
孝さん|土地を買ってしばらくは眠らせていたんですが、平成になってから別荘を作らなきゃと思って。当時は元気がありましたから。週末に来て、梨木温泉とかに泊まり歩いて、全部桑畑だったのを開拓して。
功子さん|まずは畑を作って、この土地は斜面だから、土を削って家を建てました。
孝さん|10人で買いましたけど、実際に家を建てたのはうちともう1軒だけでしたね。
功子さん|うちが二人で建てていたら、その方たちも影響されて自分達で建てられたんですよ。
孝さん|人生に見切りをつけるのは難しくて、会社をたたむまでは1年ぐらい悩みましたけど、思い切って転換、それが大事じゃないですかね。
この家は、お二人で作られたのですか?
孝さん|設計の仕事をしていましたから、図面を自分で引いて。
功子さん|いったん形になった後も、あっちに部屋をつけたり、こっちにしたり、階段も2回ぐらい変えましたね。
2階のリビングで寛ぐ二人。功子さんは毎日着物で生活している。
大工仕事もお二人で?
功子さん|主に孝さんがやりました。
孝さん|私は新潟で生まれて、太平洋戦争のあと東京に出てきたときには、一面焼け野原でした。それで家を作ることを覚えたいなと思って、知り合いから紹介してもらって六本木の近くで5年、大工仕事をしたんです。それから学校に行って設計技術を覚えて、埼玉で建設会社を開きました。長年仕事をしてきましたが、だんだん歳を取って、息子達も後を継がないとなって、じゃあ全部清算して山に行こう、と。
家の中は、おもしろい部屋割りですね。
功子さん|最初の段階で、お勝手が広ければ十分って言ったんですけど、作ってるうちに「何これ、小さい!」と思ってしまって。なので、お勝手は最初2階にあったんですけど、1階にやって。上(3階)もロフトにしたんです。階段も広いと歳取ってから転ぶ可能性があるので、ちょうど両手でつかまれる幅にして。リハビリじゃなくて健康を兼ねて、わざと階段にしています。階段を上り下りするのがリハビリだから。
台所は、功子さんの使い勝手のいいように道具の配置が工夫されている。「ごちゃごちゃしているように見えるけど、使いたい道具がすっと取れるようにしているの。」
孝さん|バリアフリーではなく、「逆もまた真なり」で、あえて段差があります。
功子さん|神経を使わないと駄目じゃないですか。どんなところでも危ないって覚えていないと。だからあっちも階段、こっちも階段。1日何回上がり下がりするか分からない。2人で住んでいるんだから、自分たちの健康管理は自分たちでしなくちゃいけないから、なるべく病院に頼らないようにしています。食べるものも、自分たちで作った物をいただいて。
(左)特製のおはぎ。(右上)とれたて野菜で味噌炒めを作る。(右下)自家製ビーツのジュース。
畑では何を作られているんですか?
功子さん|今の時期は、ビーツ、ウコン、かぼちゃ、いんげん、にら、ねぎ、さつまいも、こんにゃく、なす、きゅうり、ピーマン。あと栗、柿、梨、梅、ぶどう。残念なことに桃の木は枯れちゃったんですよね。
旬の味覚を存分に味わえるよう、季節に応じて多品目の野菜や果物を栽培している。
手慣れた運転で土を耕す孝さん。畑の奧に見えるのが二人で建てた家。
孝さん|ディーゼルの耕耘機も移住してきてから使い始めました。ハウスや作業所も手作りです。もともとは農家の知識がないもんですから、地元の町内会に入って知り合いになった農家の方のところに、いろんな野菜の作り方を教わりに行って、手伝いをしながら少しずつ覚えていきました。何でも学ばないといけないですね。
功子さん|私は今度さつまいも農家さんのところにお手伝いに行ってきます。
加工品も作っているんですか?
功子さん|1階に味噌蔵があって、梅干しや自家製酵素も作っています。手作りのもの、何も添加物が入ってないものをいただくと、嬉しいじゃないですか。畑のものはなければ食べない。それに、町の人達にあげると、肉団子とか料理になって返ってきたりするんです。「これこれ作ったから持っていくね~」って電話があって。お野菜あげてるから「お互い様」って持ってきてくれるんですよ。
(左)庭から直結の作業所は台所ともつながっている。(右上・右下)無添加の味噌は知り合いからも大好評の一品。
孝さん|この人は交流するのが好きなんですよ。全く得意なもんですから。
功子さん|興味があるんですよね。人はどんな考えしてるんだろうって。私と違う考えなら勉強したいし。人のいいところをどんどん受け入れたいと思うし。だから初めての人にも話しかけちゃう。
孝さん|地方に来たら地元の人と仲良くしなきゃいけないですね。地元に馴染んで、地元に喜んでもらうことをしないといけないと思っています。家の中に引っ込んでいるばかりでは、なかなか永住はできないですよ。ストレスもたまってくるし、片方が調子悪くなったら心が寂しくなりますから、それを防ぐために大勢の人と付き合うんです。人生いろんな巡りがあるけど、人との出会いが大事ですね。
功子さん|四季折々にこちらで出会ったお友達や知り合いを呼んでパーティーをするんですよ。春はバーベキュー、夏は流しそうめん。友達が友達を連れてきたりするから、多いときは30人近くなるかな。
孝さん|それから、住民が無料で入れる温泉(水沼駅温泉センター)があるのもありがたいですね。よく利用しています。
食卓には毎日新鮮な野菜料理が並ぶ。
お二人の趣味は何ですか?
孝さん|私は俳句と、今は畑かな。毎日作業がありますからね。
功子さん|私は絵手紙と裂き織りと、この間は「踊りを教えてくれ」って言われて公民館でやりましたね。
孝さん|この人は、藤間流のお師匠さんですからね。
功子さん|小さいときからやってたんです。自分の引き出しをたくさん持っていれば、人にも教えてあげられるし、誰かが喜んでくれると嬉しいですよね。
(左)2人で作った織り機で制作に励む。(右上・右下)功子さんの作品。経糸や生地の違いで全く異なる仕上がりになるという。
孝さん|1回しかない人生ですから、可能なことはやってみないとね。できることを一生懸命やるということ。「笑う門には福来る」ですね。
分からないことは素直に周囲に聞くこと。群馬の人間はあたたかく、聞けば皆教えてくれるので、移住で困ったことは思い浮かばないという。公民館活動にも参加している。
功子さん手作りの味噌や梅干し、裂き織りで作ったバッグなどは、知人にプレゼントしている。今後は道の駅でも販売したいそう。また、黒保根の文化祭でも作品展示を行っている。