「山で暮らしたい!」と、17年前に都市部から県南部ののどかな山間の町に移住した平松さん夫妻。林業の理想の形を追い求める譲さんと、野菜作りや郷土料理にいそしむ美樹さんに、田舎暮らしの魅力や子育て環境について伺った。

神奈川県→神流町(2001年移住) 平松譲さん・美樹さん

profile

夫婦と桂さん(中3)、りょう君(小6)・実沙ちゃん(小3)、碧ちゃん(6歳)の6人家族。譲さんは林業の個人事業主。美樹さんは専業主婦。縁もゆかりもない神流町にしっかりと根をおろし、暮らしの基盤を築いた。

午前6時。庭先に臼を出し、準備ができたら年末恒例の餅つきの始まり。

譲さん|年末の餅つきは移住当初から。初めは家族だけでやっていましたが、だんだん遠方からの知り合いも参加するようになって。

美樹さん|各自もち米を持ってきてもらって、庭先で蒸して、自分でついてもらいます。順番に朝から夕方まで、多いときは20臼以上つきましたね。火を焚いて、湯を沸かして、後はご自由に。見物しながらお酒を飲んだり…(笑)。

大学の同級生として知り合った平松さん夫妻。お二人とも各地を旅して、山で暮らすことにあこがれていた。

お二人と神流町との縁はどのように?

譲さん|実家は埼玉県坂戸市ですが、生まれは北海道。親の転勤で東京や千葉などあちこちに移り住みました。大学は横浜で、妻とは大学の同級生として出会いました。
僕は、学生時代から手に職をつけて山で暮らすことにあこがれていたんです。卒業後、埼玉県小鹿野町の材木会社に就職。そこから川向こうの鬼石に遊びに行くうちに、神流町(当時は万場町)の金達磨みその竹上さんやそのお仲間と親しくなりました。

美樹さん|私は横浜生まれ。両親はサラリーマンで、ずっとマンション暮らしでしたが、息苦しくて「私の住む場所はここじゃない」って、子どもの頃から漠然と思っていました。
あるとき、宮崎の椎葉村へ焼き畑を見に行って2週間くらいそこに滞在。その後、山を下りたときに、心がザワザワッとして「あぁ、私は山の方が落ち着くな」って思ったんです。そんなとき、この土地に縁があって「ここに来ちゃおう!」って決めました。

では、神流町へは美樹さんだけが先に?

美樹さん|はい。ちょうど道の駅万葉の里が開業するときだったので、そこで仕事をすればいいやと思って。部屋を借りて一人で住んでいました。

一番近くのコンビニまで車で30分。便利さからは遠いけれど、都会では得られない豊かさがあるという美樹さん。

お二人での移住はどのタイミングで?

美樹さん|道の駅に出荷している生産者に、この家に住まないかって声をかけていただいたのがきっかけです。もともと民宿だったところを大家さんが買い取って宴会場として使っていた家で、7部屋もあって一人で住むには大きすぎる。それで、彼に話して、じゃあ一緒に住もうかということに。家が取り持った結婚でしょうか(笑)。

譲さんは林業で独立されるまでは?

譲さん|林業を一生やり続けたいと思っていたので、林業のいい形を模索して、その後もいろいろ挑戦しました。
材木会社を辞めた後に大工や木工などを勉強。それから地元の森林組合へ。山梨のアウトドア体験の会社でも働きました。結局そこではカヌーの体験教室などにも駆り出され、山の仕事はほとんどできませんでしたが、インストラクターを務めた経験は、今も研修で講師を務めたりするときに生かされています。その後、こだま森林組合に勤めて、3年前に独立しました。

学生時代から仕事は林業と決めていた譲さん。中国の内モンゴルで砂漠の緑化に携わったこともあるという。

独立してからのお仕事はどんなふうに?

譲さん|重機や大きいクレーンが入らないところに、ロープで登る特殊伐採を中心にやっています。
昨年は台風で被災した大阪にも行きました。特殊伐採は、道具の維持費がかかり危険も伴いますが、投資をすればこれだけできるというモデルになれればと思っているんです。OLCというチェーンソー競技大会のお手伝いもしています。

林業というお仕事に情熱を持っていらっしゃるんですね。

譲さん|林業は総合格闘技みたいな仕事だと思います。木の知識、山の知識、機械の知識、けがの知識…、広い知識と技術を持っていないといい仕事はできません。それだけに興味が尽きることはないし、こんなに面白い仕事はないと思っています。

材木として使わない木は自宅に持ち帰り、長さを揃え、割って薪に。山暮らしの貴重な燃料となる。

美樹さんの日常は?

美樹さん|自宅で食べる野菜はできるだけ自分で作っています。畑仕事なんてやったことはありませんでしたが、新鮮な野菜を食べたいときに採ってきて食べられるのはありがたいなって思います。都会ではネギ1本だって、買わないと食べられませんから。季節の野菜で料理を考えるようにもなりました。
近所の人からいただいた惣菜がみんなおいしかった。じゃがいものみそ炒めとか、おまんじゅうとか…。作り方を教えてもらって、自分でも作るようになりました。
軒先で干したとうもろこしをご飯と一緒に炊いたり、粉にしておやきやかりんとうを作ったり。この地方独特の白いんげんも、種を守ろうと思って栽培しているんですよ。

家の周りの畑で採れた野菜は、干したり加工したりして食卓へ。白いんげんの甘煮は子どもたちも大好物。

山間の暮らしで不便はありませんか?

美樹さん|特にないですね。足りないものは、子どもを習い事に送って行くついでに買い出したりします。習い事は、高崎まで次女がカンフーを、息子は陸上を習いに行っていて、長女は南牧村までピアノを習いに行っています。

高崎ですか!行動範囲がずいぶん広いんですね。

美樹さん|最初は藤岡に出るのもおっくうでしたが、今はだいぶ慣れて、近く感じるようになりました。高速の運転は苦手ですが、山道は恐くない(笑)。
子どもの友だちも、水泳とか英語塾とか、けっこう遠くまで通っています。

譲さん|町内でもっと選択肢があればいいけれど。出るのが当り前になっているのがちょっと残念ですね。

自然の中でのびのびと育つ子どもたち。大家族でもゆったり暮らせる家は、広い敷地や周辺の畑なども含めて大家さんから譲り受けた。

神流町の子育て環境はいかがですか?

美樹さん|私はマンション育ちですが、ここは家と外との境が無くてすごく開放的。ご近所から孫みたいにかわいがられて、のびのび育っています。

譲さん|子どもが少ない分、学校でも先生たちとの関係がすごく密になって、充実した教育が受けられるのはいい点ですね。

裏の畑での柿もぎは、子どもたちもお手伝い。もいだ柿は薪ストーブの周りに集め、干し柿づくりのスタンバイ。

田舎暮らしがしたいという人へメッセージを。

美樹さん|何度か訪れたり、試しに住んでみたりするのがいいと思います。
私の両親も初めて来たときには「なんて谷底の場所なんだ!」ってびっくりしていました。でも、慣れてきたらいい場所だなって。

譲さん|移住して林業でやっていきたいという人がいれば、僕らが力になれることもあるかなと思っています。

個人事業主として独立した譲さん。知識も技術も必要だが、林業ほど面白い仕事はないという。

子育てについて

4人のお子さんを育てる平松さんは、中学卒業までの給食費や保育料、医療費などが無料で、子育てに関する費用が少なくて済むことがありがたいという。神流町の子育て支援は手厚く、待機児童等の心配も全くない。

食文化について

平坦地が少ない神流町。稲作をしない代わりに、山間地ならではの作物や独特の食文化が根付いている。各家庭それぞれの味があり、郷土料理を教わりながら近所づきあいを広げれば、自然と仲間入りできるとか。