吉川和孝さん・博子さん

吉川和孝さん・博子さん

赤城山の西麓、見渡す限りに広がる野菜畑が美しい昭和村。ここに京都からUターン移住して農業を始めた吉川さん夫妻。未経験ながら、農作物の栽培から加工・販売まで挑戦し、自分たちのスタイルを確立している。楽しみながら営む農家暮らしを教えていただいた。

吉川和孝さん・博子さん

京都府→昭和村(2015年移住) 吉川和孝さん・博子さん

profile

美術館の学芸員を務めていた和孝さんと着物の製造会社で働いていた博子さん。6年前に博子さんのお父さんが他界され、一人暮らしとなったお母さんを手伝うために帰郷。和孝さんと結婚し、本格的に農業をスタートした。

午前8時。 柚子畑で収穫作業。 お気に入りの場所で、 次から次へと アイデアが浮かぶ。

博子さん|この畑、気持ちいいでしょう。春になるといろんな山菜が出てくるし、木の芽も摘めるし、ウドも生える。ブルーベリーや柿も成る。ほんとに食材の宝庫なんですよ。
柚子がほしいと周囲に触れ回っていたら、知り合いが「伯母さんちにあるよ」って。柚子の木があるとは聞いたけれど、こんなにあるとは思ってもいなくてびっくり!

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収穫した柚子は、「あすなろ工房」オリジナル調味料の柚子こしょうなどの原材料。柚子を使って次はどんな加工品を作ろうかと考えるのも楽しい。

和孝さん|ここは一日中、さんさんと陽が当たるんですよ。農薬を使っていなくて、周りからの影響も受けない畑って、そうそうありません。借りられてラッキーでしたね。

そもそもご実家にUターン移住しようと思ったきっかけは?

博子さん|京都の大学を卒業後はずっと着物メーカーで働いていました。地元に帰るなんて全く考えてもいなかったんですが、2013年に父が他界し、母一人で迎えた冬がたまたま豪雪で1週間も家から出られない。それで、京都で心配するより、いっそ群馬に帰った方が安心かなと思って。

和孝さん|僕は東京生まれですが、滋賀の美術館で学芸員として働いていました。ちょうど務めていた美術館を辞めて、那須高原の美術館に移籍するというタイミングでした。結婚当初は別々に暮らしていましたが、移住して農業をやってみるのもいいかなと思うようになったんです。
それと、ここで食べた野菜がとにかくおいしかった。雪の下に埋まったホウレンソウがものすごく甘くて驚いたし、生芋コンニャクを食べたときも「なんだこれは!」と。

吉川和孝さん・博子さん

東京生まれで農業には縁のなかった和孝さんだが、無農薬・無添加へのこだわりは人一倍強い。

お二人とも農業は未経験とのことですが、どのように始められたのですか?

和孝さん|義兄が近くでホウレンソウとコンニャクを作っていたので、初めはアルバイトでコンニャク掘りの手伝いをしました。
昭和村は高原野菜やコンニャクを作る大規模農家が多いのですが、妻の実家では手放した農機具も多く、何ができるかと考えたとき、ハウスがあったのでホウレンソウを作ろうと。気候が冷涼なので冬野菜のホウレンソウが夏作れる。そういう特殊性も魅力だと思って。
作り方の基本は義兄に教わりました。

博子さん|実は、こちらにUターンするとき職業の選択肢が他になかったんです。私の着物づくりも、夫の学芸員も昭和村では続けられない。じゃあ、せっかく農地があるんだし、農業をやってみよう!と。二人とも40歳を超えていたので、大きい機械を買ったり人を雇ったりということは考えられませんでした。なので、加工品だねって。

吉川和孝さん・博子さん

初めは採った野菜をその場でムシャムシャ食べて味を確かめたという和孝さん。おいしい野菜作りのコツもつかめてきた。

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出荷作業に励む博子さん。ふだんは各自が自分のペースでやりたい作業を行い、三人が顔を合わせるのは昼食時ぐらいとか。

「あすなろ工房」を立ち上げられたのですね

博子さん|いえ、「あすなろ工房」はもともと両親が始めたものです。白菜漬けやたくあんなどを作って、直売所に出したりしていました。そこへ私たちが加わって、形を変えて広げていったという感じです。

和孝さん|今は、義母と三人で、栽培も加工も販売も、それぞれ自分の好きなように作業しています。僕は味噌や米糀、生芋コンニャク、妻は和調味料、義母は漬物など。
栽培にはできるかぎり農薬を使わない、加工品には添加物を使わないというのが僕たちのポリシーです。
種類もどんどん増えてきて、年間通して野菜や果物、ハーブなどを今年は約50品目、加工品と合わせると100種類は超えるかな?今、4つ目の加工場を造っているところです。

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(左上)主力商品の「柚子こしょう」シリーズ。週末に出店するマルシェでも大評判。(左下)博子さんの実家は代々続く豪農。(右)甘糀づくりは和孝さんの担当。

博子さん|自家栽培の原材料を使い、うちにある道具と私の段取りが一番スムーズに行くやり方を編み出して、納得行く味になるまで試作を重ねます。着物の企画とか製造とかやってきたことが、意外と役に立っているんですよ。

「ものづくり」という点で、今までの経験が生かされているんですね。

和孝さん|僕の学芸員時代の経験も生きていますよ。展覧会の企画とか、ポスターの制作や図録の執筆とか、農家の作業と似ているところがあります。
農家は「百姓」という言葉通り、なんでもしなくてはなりません。チェーンソーを使ったり、トラクターに乗ったり、調理も、大工仕事も…。工房のパンフレット作成にも経験が生かされたし、今年は県の6次産業化事業のコンペに応募して1位になったんですが、企画書を書いてプレゼンするなんて大得意でしたから。

販売ルートはどうやって開拓したのですか。

博子さん|もともと母が村の道の駅などに出していたのを、私たちが増やしました。川場村の「田園プラザ」や高崎駅の「群馬いろは」、JAファーマーズ、高山村の道の駅なども。

和孝さん|二子玉川のマルシェをメインに東京の販売イベントへも出店しています。

博子さん|私たちはスーパーに並ぶような形のよい野菜は作っていません。形が悪くても、おいしくて安心安全な野菜を求めるお客様に販売したい。だから、基本は顔を合わせてお話しながら販売しています。

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学芸員時代より人脈が格段に広がったという和孝さん。東京の友人の実家でこども食堂をやっていて、子どもたちと味噌やこんにゃくの手造りも楽しんでいるとか。

いわゆる「農家」のイメージとはちょっと違いますね。

博子さん|農業って、ずっとその土地で働くっていう閉鎖的なイメージがあるでしょう。
でも、うちは夫の実家が東京なので、遊びがてらイベントに出店したりと、フットワーク軽く動いています。知り合った人が、こちらに遊びに来てくれることも。東京から日帰りで気軽に行き来できる距離がいいですよね。

和孝さんは、昭和村の暮らしにすぐになじめましたか。

和孝さん|妻に勧められて神輿を担ぐ会に入ったことから、人脈がぐっと広がりました。農家だけでなく飲食店の人や職人、雑貨店の人など、年齢も職種もいろいろです。
それと、この村は村民運動会とかソフトボール大会など、スポーツの関係で地域のつながりがすごく強いので、そういう行事に参加しているうちに親しくなって、今ではサラリーマン時代より格段に友人が増えましたよ。

群馬へ移住して農業を始めたい人へのアドバイスがあれば。

博子さん|「農家はこうでなければ」という決まったものはありません。自分なりのスタイルを作ればいいので、そんなにハードルは高くないと思いますよ。やってみればなんとかなります!

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京都にいた頃よりリラックスして、毎日充実した日々を過ごしているという博子さん。これからもいろんな人と出会って、楽しく生活していきたいと語ってくれた。

首都圏とのアクセスについて

関越道で東京まで約1時間半というアクセスの良さも、昭和村の魅力だという吉川さん夫妻。週末には都内で過すことも多い。知り合ったお客様からのアドバイスで、憧れていた神楽坂のお店にも出店できることになったとか。

農業の公開講座について

勧められて県主催の「ぐんま農業フロントランナー養成塾」に参加したという博子さん。作物も栽培方法も地域によってすごく違うことを知り、視野が広がったとか。移住して就農したいという人にもおすすめの公開講座だ。