持続可能な農業で、ふるさとの農地と景観を次世代へとつないでいく。
赤城山の西麓、渋川市赤城町にUターン移住して、ハーブ栽培を始めた荒井さん。株式会社 森の香を立ち上げ、ミントやカモミール、パクチーなどを栽培し、自社内でハーブティーやハーブソルトなどの商品開発を手がけ、販売しています。ふるさとで始めたハーブ栽培への思いを伺いました。
Uターン移住しようと思ったきっかけは?
生まれも育ちも渋川市赤城町。学生時代までここで過ごしました。就職を機に、埼玉県戸田市へ。カーナビやカーステレオを作るプログラマーとして働いていました。妻の実家も私の実家の近くにあったので、実家の周囲は親戚だらけです。この辺は高齢者が多く、あいている畑が目立つようになっていましたし、私も実家の畑、妻の実家の畑を将来、使っていかないといけないと感じていて、サラリーマンをしながら、休みの日に畑を使って農業をしていこうと考えたのがUターン移住した理由です。
農業を始めたきっかけは?
農業関連会社のネットワークエンジニアとして、県内の企業に転職しました。休みの日に農業をするというイメージでいたのですが、仕事も忙しく、なかなか畑を使うタイミングが訪れないまま、8年ほどその農業関連会社でお世話になりました。仕事では農家さんと触れ合うこともあり、農業の現場を修業することができたのは良かったと思います。
学生時代から工業系で、ずっとエンジニアの世界にいました。エンジニアも農業も、ものを作るのは一緒ですが、エンジニアの世界では、エンドユーザーが見えず、ものを作った成果をフィードバックされることもほぼありません。そこに満足感のなさを感じていました。農業は作ったものを直接食べてもらったり、使ってもらったり、エンドユーザーに触れ合おうと思えば、触れ合える環境をつくることができます。そこがとても魅力的でした。
この先、農業を仕事とするならば、ある程度の面積の畑を使うこととなり、体力がなくなってから始めたのではやりきれないと思い、40歳になる手前で会社を辞め、農業を始める決断をしました。
就農と同時に、会社を立ち上げた理由は?
農業を生業とする会社をつくろうと最初から決めていました。個人農家としてこじんまり始めるより、きちんと会社として、良くも悪くも評価を受けながら、やっていった方が先々があると考えていたからです。メリット・デメリットでいうと、余計なお金がかかるので最初はデメリットの方が多かったのでしょうけど、個人農家では取引できないような大手の会社とも、商談のテーブルにつけるというのは大きいと思います。
「中山間地域の大規模化できない有休農地を使って、持続可能な農業をつくる」が、会社のコンセプトです。この辺りは、山を背負っている農地が多いです。日当たりが良くなく、勾配があり、一つの畑の面積が小さかったり、いびつだったりで、大きな機械を入れての作業が難しい土地ばかりです。私も妻もこの地域で生まれ育ったので、この地の農地や景観がいい状態で持続していくことに趣を置いています。この先、この地域で増えていくであろう有休農地をうまく使うビジネスを成立させていきたいという思いが強く、上記のコンセプトを掲げた会社を立ち上げました。そして、持続可能な農業にするため、無肥料無農薬で、小さな面積でも栽培できるハーブを選び、あまり景気に左右されづらい乾燥加工を選びました。
農が身近にある生活をしてみて良かったことは?
健康です。夜、子どもたちと過ごす時間が増えました。今は日の出とともに起き、日が暮れれば、仕事を終わりにして家に帰り、家族と夕食を食べるというのがサイクル。家族と一緒にいる時間がたっぷりとれていることが、私を健康にしてくれているのかもしれませんね。
大変だったことはありますか?
会社立ち上げ1年目は、商品が思っていたほど売れなくて、しんどかったです。販売方法を学ぶ研修会に行ったり、本を読んだりして、勉強する機会を増やし、自分の思い込みとのズレを修正するため、パッケージデザインを変更してみたり、試行錯誤しました。いろいろな方に助けてもらい、アドバイスをもらいながら、今に至っています。
これからの目標は?
会社を緩やかに大きくしていきたいです。今、年に1回、特別支援学校の生徒さんを受け入れています。いずれ、彼らの雇用の受け皿として機能していきたいと思っています。そのためにも、努力を重ね体力をつけ、販売技術を上げ、販路を拡大し、製造量をあげていく。少しずつプラスにしていきたいと思っています。
これから移住される方へのメッセージ
計画は大事です。自分と向き合う時間をつくり、これから自分がやりたいことを整理し、いろいろな人に伝えられるように文章にしてみてください。自分のやりたいことが明確であれば、ブレずにやっていけると思います。必ず予定外のことが起きますが、諦めずにやっていくことも大事です。また、他の地域から移住してくれた人は、地域の宝でもあるので、地域のことも考えながら、地域の人にうまく溶け込んで、ねばり強くやっていってほしいと思います。