縁をつないで、りんご農家に転身。目指すは、かっこいいりんご農家。

 小学5年の移動授業で川場村へ訪れたことをきっかけに、りんご農家になりたいという夢を持ったという太田さん。その後も、りんご農家との親交を深め、縁をつなぎ、りんご農家へと転身しました。りんごづくりに情熱をそそぐ、太田さんを訪ねました。

太田 龍之介さん
(東京都世田谷区 → 群馬県利根郡川場村)
東京都世田谷区出身。研修期間を経て、2017年、「りんご園おおた」をスタート。妻と9歳の長男、7歳の次男、3歳の三男と5人暮らし。

移住したきっかけは?

 川場村のりんご園との出会いは、世田谷区立小学校の5年生を対象に行われる「川場移動教室」でした。川場村にある区民健康村に宿泊しながら、川場村の自然や文化にふれながら、さまざまな体験活動するのですが、そこでこのりんご園の前園主の話を聞いたのが始まりでした。小学6年生の時には、世田谷川場ふるさと公社が主催する「自然教室」に参加し、再度、川場村へ。再開した前園主の話す姿や生き様がかっこよくて、憧れを抱くようになり、りんご農家になりたいという夢が生まれました。

 以来、毎年、川場村に遊びに来るようになりました。大学生になっても、前園主との交流は続いていて、りんご園を手伝わせてもらうこともありました。大学2年の時、前園主から「やる気があるなら、りんご農家をやってみないか」という話をいただきました。ずっとずっとりんご農家になりたいと思っていましたから、大学を卒業し、社会人を経験した後、りんご農家になるつもりでいました。

 社会経験を積むために、群馬県内のスーパーに就職。3年ほど経った頃、前園主が亡くなられてしまって、前園主のりんご畑の一部を引きつぐ形で、川場村に移住しました。

就農して大変だったことは?

 川場村に生活拠点を移した後、2年間の研修期間を経て、2017年、就農しました。大変だったことといえば、お金がなかったこと。通帳の残高が二桁になったこともありました。りんご農家になることに迷いはまったくありませんでしたけど、よく生き残れたと今でも思います。

 りんごを育てる大変さも味わいました。りんご畑を引き継いだ年は、カメムシの発生で予想していた収量の3割しか収穫できませんでした。この経験があったから、今では、ちょっとやそっとではびくともしません。強くなれたと思っています。

りんごづくりの楽しさは?

 頑張った分だけ、りんごがこたえてくれるところです。同時に、さぼったらさぼったなりのりんごになります。剪定、消毒、摘果、葉つみ、収穫と1年を通して作業がありますが、収穫時期は、りんご農家の結果発表の時期です。結果が良ければうれしいし、悪ければ胃が痛くなります。

農が身近にある生活をしてみて良かったことは?

 子どもと遊ぶ時間が取りやすいことです。キャッチボールや鬼ごっこ、川や山が近いので、川場村ならではの遊びが楽しめるのがいいですね。川場村スポーツ少年団のレーシングチームに入っている長男と次男と一緒に、僕もスキーを始めました。スキーの楽しさにはまり、今は、自分がうまくなりたくて、連れていっているところもあります。

これからの目標は?

 子どもたちが「うちの父ちゃん、かっこいいでしょ」と言えるような仕事にしたいと思っています。いつか、子どもたちが「父ちゃんと同じ、りんご農家になりたい」と言ってくれたら、うれしいですね。

これから群馬へ移住して農業を始めたい人へのアドバイス

 僕のように、突然、農業の世界に飛び込むと、お金が続かなくて、苦しい思いをすることもあると思います。農業の他に、副業など稼げるような仕事があって、半農半仕事のような生活から、徐々に農業に移行していくのもいいと思いますし、何もしなくても2年間ぐらい生活できる余裕(貯金)を用意しておくのもいいと思います。